僕の高祖父母は、まだ幕末の時代、
今では想像できないほど厳しい環境で
たくましく生きてくれました。
母方の曽祖父・勝作は村会議員を
勤めた立派な方で
とても厳格で、愛情に溢れた方だったそうです。
妻・まさが早く亡くなったため、
男手一つで子供を育て、
孫の面倒もみて苦労をされたそうです。
昭和に入り、太平洋戦争があった時代。
僕の祖父母は生きていました。
父方の祖母・あさいは
なるようになるさ!と、くよくよしない
さっぱりした性格だったそうです。
たくさんの兄弟姉妹がいる中で、
長女だったこともあり
とてもしっかりしていて、視野が広く
家族の司令塔のような存在だったそうです。
胆嚢がんの病気で倒れたことがきっかけで
父・精一が珠洲市に
戻ってくることになりました。
父方の祖父・正行は
僕が小学生に入る前に亡くなり
記憶にないのですが、
怒ったことがないような優しい人だったそうです。
口数が多いとクズが出るからという理由で
(今でいうと口は災いのもとってことでしょうか。)
あまり喋らない人だったみたい。
口癖は
1、ひいき 2、金 3、実力
だったそうで、何よりも
人の縁を大事にしていた人だったそうです。
母方の祖母・ナツイは
戦死した夫の弟の正市と再婚しました。
そのおかげで僕がいます。
正行さんと同じ頃に亡くなったので
あまり記憶に残っていません。
でも、歌が大好きで歌っている姿が
家のビデオに残っています。
とても世話好きで
共働きで忙しかった僕の両親に代わって
僕の保育所の送り迎えをしてくれて
とても可愛がってくれたそうです。
母・恵子は2017年に病気で亡くなりました。
とても明るくてムードメーカーでした。
看護師として長年働き、
お母さんには大変お世話になりました
と母とご縁のあった方から
よく言われるくらい
プロフェッショナルな人でした。
大きな笑い声も、時折混ぜてくる
寒いギャグも記憶に新しいです。
今も元気でいてくれている祖父・正市。
今年で90歳です。
お酒が好きすぎて
とんでもない時代もありましたが、
優しくて、働き者で、几帳面。
子供にも孫にも怒ったことがない人です。
超未熟児で生まれた父・精一。
今年で69歳です。
働き者でいつも優しい。
喋るのはちょっと下手だけど、
生きる上で大切なことをいつも教えてくれます。
もし、祖母・あさいが
病気になっていなければ、
父・精一は母と出会ってはいないでしょう。
もし祖父・正市の兄が
戦死していなければ、
母・恵子は生まれてこなかったでしょう。
もし、戦争がなかったら・・・
もし、病気や事故で死んでいたら・・・
もし、あの仕事をしていなかったら
もし、声をかけていなかったら・・・
もし、あの時気持ちを伝えてなかったら・・・
ものすごい奇跡の連続で
僕という存在があることを
家系図を調べていて再認識できました。
そして、亡くなることで、
生まれてくる命もあるということ。
そう考えると、僕の母の死も
きっとどこかに繋がって
いくかもしれません。
この奇跡に感謝を忘れず、
僕から始まるヒストリーを
これからも紡いでいきたいです。
ありがとう!
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